人格という名の船を想像する

人格とは個々の魂を乗せてすすむ船だと思っています。
イメージしてください。生まれた時の船は木の葉のような船です。親が守らなければ弱い波風にも耐えられず沈没してしまうでしょう。順調に成長すれば、成長に伴い手漕ぎのボートになり親の船から少し離れ、段々と大きくなった船は親の船から離れた海を進み始めます。
しかし一人で漕ぎだす船を作れなかった人格は脆く弱いものです。20歳でも30歳でも70歳でも自分が一人で漕ぎ進む船を持たない人もいます。親船の庇護が強すぎて波風を進む力が育たなかった船は弱い船です。強く硬すぎる鋼鉄のマッチ箱、シェルターような船もあります。自分の人格・魂を守るためにシェルターのような船を作った人は周りの船との交流が苦手になります。
個々の社会性によっても船のイメージは変わります。ある理学療法学校で学生に講義をしたときに、「人格という船を思い浮かべたときに、あなたの船はどんな船ですか?」と質問すると1年生は手漕ぎのボートをイメージする生徒が多く進路が決まった3年生はモーターボートやヨット、クルーザーとの答えが多くありました。「では学長は」と質問すると「軍艦」と答えられました。
社会的に事業成功している友人に尋ねたところ「僕はタンカー」と答え、彼のパートナーはすかさず「私がタグボート」と答えました。
今の自分の船はどんな船かをイメージすることは重要です。それは魂を乗せている船なのですから。年齢を重ねて身体も動きにくくなっても軍艦のイメージでは周りの人が困ります。それは老害です。責任のあるポジションで笹船では周りを巻き込んで沈没します。
なぜ理学療法士の学校で人格と船のイメージを話したかというと、私たち医療に従事する人間は患者の魂ととても近い存在になる場面が必ずあるからです。木の葉の船のように脆くなった人格も鋼鉄の箱のように閉ざされた人格の船もあります。私たちは寄り添うことしかできないけれども寄り添うことでその人の進む力を引き出すことができればと願うからです。