スペシャリストとアマチュアの違い

僕自身をスペシャリストなどと言うのはおこがましいのですが、ちかごろ色々の名称の民間医療やケアの分野で、嘘つきスペシャリストがとっても多いので、あえて一言。

施術をするとき、一番大事なことは患者さんのリスクを減らすことです。患者さんのリスクを減らすことが自分のリスクを減らすことになると考えています。「うちは、何でも治りますよ」なんて言っている所は最悪です。「あそこの先生は何でも治す」なんて言われはじめたら、そうとうに注意が必要です。

なかには初診のときに「10回続けて来なさい。そうすれば治ります。はい、10回分10万円」なんてひどいところがあると聞きます。「まあ、診てみましょうか」くらいで始めないと、僕は不安です。治療を進めながら信頼関係を築いて初めて患者さんから「実は・・・で痛くなりやすくて」とか言葉が出て、生活や仕事の環境・習慣なんて話が出てきます。「何でも話しなさい」なんて言われて話しなんかできません。この人に自分のこと話してもわかるかなわからないだろうな、くらいに患者さんの心は閉鎖的です。5回ぐらい診て、患者さんが「実は……」なんてことが多々あります。一番の原因を隠しています。

患者さんのリスクを減らすってことは、よく話を聞く。自分の治療に自信を持っていれば、自分に治せない患者さんは、他の先生に紹介する。患者さんに心のダメージを負わせない、ということです。なんでもござれで、自分の利益を追求していると高いリスクを取ることになります。

どの道のスペシャリストに成るにせよ共通することは、体験を理論化する。理論を体験する。それを、繰り返すことだと実感しています。すべて周りに起こることを、理論的に発表して実体験してみることは出来ませんが、でも自分にかかわる事は理論的に思考し、思索的に体験し理論化することが必要で、世の中のことは、ほとんど自分に関わることなんで、人の話を鵜呑みにして“ああ、そうなの、へえ”などと言いつつ、まわりから入った言葉を、そのまま自分の考えにしては駄目なんです。

体験することと、体験を自分なりに整理することは、学問なんかじゃない生活です。その意味で体験と理論化の繰り返しは年齢や身体障害も、ハンディキャップにならない。自分が体験する体験した、すべてのことは理論化して考えることで自分を育てます。人生に無駄なことは一つも無いと僕は考えています。

体は成長から老化への途中にありますが、魂は永遠に成長します。すべての人は、人生のスペシャリストになれます。すべての人は特別な存在として生まれてきたのですから。